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感想:アニメ「デュラララ!!」第16話「相思相愛」*ネタバレあり [アニメ感想]

アニメ「デュラララ!!」の感想です。
今回は第16話「相思相愛」です。
以下の記述にはネタバレを含みます。
私は原作の小説を読んでいません。


前回の感想はこちら。
第15話「愚者一得」

各回の感想記事のURLは、他作品と合わせて
こちらの一覧記事でまとめています。
アニメ感想一覧:2010年1月 開始作品


────

今回は、今までの中で一番面白かったです!
上記の通り、私は原作の小説を読んでいませんので、
今回のお話で明らかになった真実は、
これまで拙い予想をしていた私にとって、
答え合わせ用の模範解答のようなものでした。
いやぁ、面白かった。

やはり、園原杏里ちゃんが
妖刀“罪歌(さいか)”の持ち主なんですね。
いえ、この場合は、宿主と言った方が良いのでしょうか。
しかも普通でしたら、
「罪歌に身体を乗っ取られた」と表現するべきところを、
当の杏里ちゃん曰く「私が罪歌に寄生して生きている」
──つまり、彼女が進んで罪歌に身体を貸している事になります。



これまでのお話において、
紀田正臣くんや竜ヶ峰帝人くんがしていた噂話で
たびたび挙げられていた二年生の先輩
“にえかわはるな(贄川春奈)さん”が
今回、本格的に登場しました。
以前にも、父親であるライターの贄川周二が帰宅した際に、
自宅のベッドでチャットに興じる姿が出た事がありますが
ここまで彼女の顔がはっきりと出たのは
今回が初めてですよね??

で、以前の回で、
杏里ちゃんにセクハラをかまそうとしていた
那須島先生を牽制する為に、
紀田くんが贄川春奈の名をいたずらに挙げた事がありますが、
その時に、那須島先生の様子が急変し、
まるで彼女の名に酷く怯えるような言動を見せてきたのにも
私は物凄く納得できました。
確かに、包丁の刃先をこちらに向けた贄川春奈に
「愛しているわ」と言われて迫られたら、
那須島先生でなくたって逃げますよね。
また、こんな事がかつてあったのなら、
その名を聞いただけで「ひぃぃぃ」と怯えるのも当然です。



さて、罪歌について。
結局、罪歌は、愛を語り、愛を求める存在なんですね。
人間でないものが意思を持って行動しているあたり、
非常に大雑把に分類すれば、
セルティ・ストゥルルソンと同じようなものになると思います。
(池袋の生きた都市伝説である点も含めてww)

人間は、誰かを好きになったら
その相手と手を繋いだり抱き合ったり、
キスやセックスをしたいと望み、実際にしますが、
罪歌の場合、これらの行為が“斬る”事に当たるんですね。
この辺は、放送を見ていてむちゃくちゃ納得できました。
「なるほどなぁ」と感嘆しましたww

そして、人間同士が生殖で子を生すように、
人を愛する行為が“斬る”事である罪歌は、
それでもって、斬った対象の魂に子を宿す……と。
つまり、根源というか、母体(始まりの存在)は
杏里ちゃんが寄生している妖刀罪歌で、
その他の切り裂き魔(罪歌)は全て、
彼女の子供に当たる存在なんですよね。
ただ、公園で平和島静雄と喋っていた
いじめっこの女の子三人組が
やたらと「姉妹」という単語を連発していたのを踏まえると、
母体である罪歌の子供が誰かを斬っても、
それは子供の子供──つまり母体の孫にはならず、
子供の姉妹になるという認識で良いのでしょうか

私は、以前の感想記事でも書きましたように、
罪歌が広がっているとは想像できましたが、
病気のように、斬られたら伝染/感染するという感じで
勝手に認識していましたので、
母や子、そして姉妹という単語でこれらが表わされた事が
非常に新鮮で、面白く思えました。
確かに、“愛”を求める罪歌なら
こういう単語を使う方が適確ですよね。
この辺には原作者さんの優れたセンスを感じます。
バッカーノのアニメを見た時も思いましたが、
原作者さんは、こういう細かい部分のこだわりに凝っていて、
また、上手いですよね。



そして、ここからは推測──というか、疑問です。
罪歌に斬られた事で、子となり姉妹となった新たな罪歌は、
本来の人間が持つ自我の強さによって、
その後の意識や行動が異なってくるのでしょうか。

というのも、
前回のBパートと今回の冒頭において、
罪歌となった贄川周二が暴走するシーンが描かれましたが、
これは、彼自身の意思ではなく、
彼の娘・贄川春奈の望みですよね。
彼は娘に斬られた後、
何故か杏里ちゃんを気にせずにはいられなくなり、
遂には本当に彼女を襲おうとしました。

今回の放送でも、贄川春奈によって
「父親なら、他の子よりも上手く動いてくれる」との台詞や、
彼女が、内なる存在である罪歌を思い通りに制している
(と思い込んでいる?)と受け取れる台詞もありました。
前回の放送で、
贄川周二が徐々におかしくなっていったのを踏まえると、
罪歌になった時/なってから精神的に不安定だったりすると、
他の罪歌につけこまれた結果、
自我が奪われる事も普通にあるのでしょうか。
また、これは、直接の関係か否かも関係しているのでしょうか。
(たとえば、斬られた事によって新たに生まれた罪歌は、
自分を斬った罪歌には逆らえないとか。
これなら、母体である杏里ちゃんの罪歌が
ヒエラルキーの頂点に立ちますよね)

そして岸谷新羅とセルティの話で、
罪歌は五年前に一度消えていた
(おとなしくしていた)と分かりましたが、
これは間違いなく、
杏里ちゃんのご両親の死と関係していますよね。
今回、非常に短い断片的な映像ですが、
彼女の両親が惨殺された回想シーンも出ました。
そして、同じ部屋にいたにもかかわらず、
杏里ちゃんだけが生き残ったのを踏まえると、
その五年前の事件が起きた時が、
言わば、彼女が罪歌に寄生した時なんでしょうね。
(杏里ちゃんが寄生したから両親が亡くなったのか、
それとも、寄生したから彼女だけが助かったのかは
今のところ分かりませんが)

私は、杏里ちゃんの
「罪歌に寄生して生きてきた」発言にも
びっくりしましたが、
その前の
「誰かに寄生しても、
その対象から追い出されないようにする為に
どれだけの物を犠牲にしてきたか」発言にも
大きく驚かされました。
私は単純な人間なので、“寄生する”と聞くと、
他よりも楽に生きられるイメージを抱きますが、
寄生する側からすれば、
それなりに対価を払っているものなんですね。
ここも大変面白かったです。



次回は、今回の続きで、
杏里ちゃん対贄川春奈と、
罪歌の集団対静雄&セルティの戦いが描かれるのでしょうか。
見るのがとても楽しみです。

そして、最後になりましたが、
杏里ちゃんが自室で贄川春奈に襲われそうになった時に、
私は、この後どうなるんだろうと本気で心配になりましたので、
贄川春奈があっさりと帰る気になった人(那須島先生)が
客人として登場したのには、上手いなぁと思いました。

それと、今回、私が一番好きだったのは、
ダラーズのラノベ大好きな女の子
(ラノベを対象に選ばせて
その本に掲載されている方法で拷問する子)が発した
「ボーイズにラブってる」でした。
今回は、シズイザやイザシズの人には
ご褒美のような回だったと思いますww
でゅらの同人に興味がない私でも、
こういう台詞や描写を見聞きしたせいで
何か書きたくなりましたww





────
感想は以上です。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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続きの感想も書きました。
第17話「有為転変」

宜しければ、合わせてどうぞ。


2010-05-01 13:34  nice!(2)  コメント(0) 
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