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感想@アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」第弐拾四話:最後のシ者*ネタバレあり [アニメ感想]

新世紀エヴァンゲリオンのテレビシリーズの感想です。
今回は、第弐拾四話「最後のシ者」について書いています。
ネタバレを含みますので、未視聴の方は閲覧にご注意下さい。


前回の第弐拾参話「涙」の感想記事はこちら。
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2009-08-01-3

「新世紀エヴァンゲリオン」の各話の感想記事のURLは、
こちらでまとめています。
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02-2


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アスカの回、レイの回……ときて、
この第弐拾四話は
新しいキャラクターである渚カヲルの回です。
カヲルくん好きだー!!!
エヴァは、女性キャラが巷で絶大な人気を誇った一方で
男性キャラは地味……というか、決定打に欠けていたので、
このカヲルくんの登場は
まさに「待ってました」なものでした。
この1話しか出ていないのですが
壮絶な人気を誇りましたよね、カヲルくん。
上記でも書いたばかりですが、私も彼が大好きです。

当時の私は、今以上に声優さんに疎く、
よほどの事が無い限り、お名前を知ろうとも思わなかったので、
エヴァは、私が声優・石田彰さんを
初めて知った作品でもあります。
(これで石田さんを知って、
他の作品でも彼が声を当てているキャラクターに気付くと
「これ、石田さん?」と分かるようになりました。
石田さんは、元々、声に特徴のある方なので
声優さんに興味のない私でも分かったのは当然なのですが、
聞き分けができた事に嬉しくなってしまいました)



シンジに対して積極的なカヲルくんの言動が凄いです。
この時のシンジは、学校にも行かなくなった事から
せっかくできた友だちとも会わず、
家では、いつもは明るかったミサトさんが自室に隠りきったまま、
アスカは行方不明。
皮肉を言えたり、助言を貰えていたりした加持さんもいない、
レイには近づきがたい
一番頼りにしたい父親は、相変わらずわけが分からない
……と、とにかく孤独です。
奥手で引っ込み思案で、常に受動的なシンジにとって、
彼をぐいぐいと引っ張っていく性格のカヲルくんは、
相性が非常に良く
(カヲルが、シンジの性格を読み取って
わざとそのように演じた部分もあったかもしれません)
また、カヲルくんが気さくだった事から、
シンジも、まるで夢中になるかのように
彼に惹かれていきます。
その分、シンジが「僕を裏切ったな」とカヲルを詰るシーンは
痛々しいです。
カヲルくんにしてみれば
シンジに好意を持っていたのは真実で、
彼を裏切ったとも思ってないのかもしれません。
(でも、自分が使徒である事を隠し、
計画を遂行しようとした時点で
シンジに責められても仕方が無いとは思っているのかも)
ただ、最後、シンジの手によって死ぬ事を
良かったと思っている素振りを彼が見せてくるのは、
彼なりの好意の表れだと思います……。

多分、人類が補完計画を遂行させる為には
全ての使徒を人(リリン)が倒す必要があったのではないでしょうか。
使徒(カヲルくん)が人(シンジ)を滅ぼすのも可能だったけれど、
カヲルくんはシンジを生かしたかった。
だからこそ、どうせ死ななければならないのなら、
好きなシンジに殺してほしかったのではないでしょうか。
*カヲルくんの発言に関しては
当時も様々な意見が飛び交っていて、
「これが正解」というものは特に無かったはずです。
このように、作品に対して
推測・討論できる幅を与えられるのは有難いですが、
正直、エヴァは分からない事だらけなので
謎がはっきりと明かされない点に
歯痒さ、いら立ちを覚える事もありました。



また、この戦闘は
段階的に描かれてきた事の集大成でもあります。
最初は、人間とは違うもの=敵として、使徒を討っていました。
でもトウジの回で、
中に入っているのが人だと分かった状態で、使徒を討ちました。
ただ、この戦闘では、
パイロットが実は自分の大事な人という認識は
戦闘中のシンジにはありませんでした。
そして今回──好ましく思っていたカヲルを
敵として討ちました。
対使徒戦というスタンスは常に変わらないものの、
戦闘の内容は、徐々に酷になっています。

最後の、カヲルくんの首をはねるまでの長丁場も凄いです。
前々回の「せめて、人間らしく」の回では、
アスカとレイが同じエレベーターに乗るというシーンで
同様な描かれ方がなされていました。
“間”を本当に上手く使っていると思います。
アニメで、ここまで長く間を取っている作品は、
当時はなかったと思います。
視聴者は、この間を見る事で、
シンジやカヲルくんが何を考えているのかを勝手に想像し、
自分が一番納得がいく言葉を当てはめる事ができます。
言わば、制作者側は、
キャラクターの感情や意思がどうであるかを
視聴者の想像に委ねたわけです。
これは、そのシーンに説得力を持たせるのに効果的な演出ですが、
一歩間違えば、視聴者の勘違い(読み取り違い)を増幅させる為、
作品への解釈や感想を誤らせる事にも繋がりかねません。
ただ、このシーンは、
「今まさに友だちを殺す」という、非常に特化した状況なので、
視聴者が間違う可能性は少ないです。
制作者側が期待した想像を抱かさせる事に、
見事に成功していると思います。



リツコさんの離反によって、
パイロットたちによるエヴァとのシンクロテストを
彼女ではなく冬月副司令が見ているのが、不思議です。
当然と言えば当然なのですが、
いるべき人がそこにいないのは、やはり物足りないです。

また、逃走した後、どこかの廃屋の中で、
全裸でお風呂に浸かっているアスカが、痛々しいです。
(全裸でお風呂に入るのは当たり前の事ですが
あの場面は、入浴という日常的な行為でなく
ずっとその状態でいる事がおかしい)
裸でバスタブに浸かるというのが、
まるで母親の胎内にいるように描かれているのが
(胎内回帰?)印象的です。



物語の大詰めとあって
様々な謎が、カヲルくんの言葉を中心に明かされていきます。
特に、カヲルくんがレイに言った「君は僕と同じだね」や、
レイが一瞬だけ使徒として認識された点は、
当時、かなり話題になっていました。
レイの正体が人ではないのは明白にされていましたが、
まさか使徒と同じだったとは、あり得ない事ですから。
そして、アダムやらリリンやらリリスやら、
わけが分からない事に……。



そして……このタイトルを見ていると
「シ者=渚」であることにびっくりしたのを思い出します。
一時期に流行ったギャル語
(今でもあるんですか?)のようなので、
それが無かった当時は珍しかった事も思い出してしまい、
私は笑ってしまいました。
時代は変わるものですね。





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感想は以上です。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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続きの第弐拾伍話「終わる世界」
第弐拾六話「世界の中心でアイを叫んだけもの」の感想はこちら。
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2009-08-01-5

劇場版「THE END OF EVANGELION」
(第25話:Air、第26話:まごころを、君に)の感想はこちら。
http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2009-08-02-1

宜しければ、合わせてどうぞ。


2009-08-01 11:16  nice!(0)  コメント(0) 
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