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感想:映画「さよならテレビ」*ネタバレあり [映画・舞台]

映画「さよならテレビ」を観てきましたので、感想を記します。
以下の記述にはネタバレを含みます。
【映画「さよならテレビ」公式サイト】
https://sayonara-tv.jp/



今年の始め、ネットでたまたま情報を見かけてから
ずっと観たいと思っていた映画「さよならテレビ」。
公開している映画館を調べたところ、
最寄りが渋谷のユーロスペースで、
これはもう無理だなと諦めていたのですが……。
つい先日、ふとこの映画のことを思い出して調べたところ、
地元・栃木(宇都宮)の映画館で現在上映中であるのを知りました。
これは運命だと思い、昨日、その映画館で観賞してきました。


タイトルに「さよなら」という決別の言葉があることから、
メディアを痛烈に批判する骨太な報道映画かと思いきや、
三人の人物を主としたテレビ局の現状が淡々と映される内容でした。
最後、ネタバレのような描写があり、
「これは本当に現実なのか」や
「ドキュメンタリーとは。ノンフィクションとは」というような問いかけを
観客に提示する作りになっていましたが、
そもそもカメラを通して現実を見ている時点で、
更に言えば、
誰かが切ったり繋げたりと編集した映像を見せられている時点で、
作り手側の主観が必ず入ることから、
私は現実ではないと思っていますので、
最後のネタばらしでも驚くことはなく、
「まぁそうだよね」と納得するだけに留まりました。


なので、映像の冒頭で、
東海テレビのスタッフの一部(おそらく偉い人)から、
「何を撮るのか」や「撮ってどうするのか」といった厳しい指摘があったり、
メインの登場人物の一人から
「これは現実なの?」という皮肉めいた質問もぶつけられたりした際にも、
へらへらしながら躱す作り手側の態度の方が
私には気になってしまいました。
尤も、このテレビの問いかけに沿って言うなれば、
私がこういう風に思うことすら、
作り手側の誘導によるものなのかもしれません。


最初に「ん?」と引っかかったのは、序盤にあったシーンです。
政治家から「撮るな」と言われても撮っている自分たちは、
たとえ今回の撮影に対して嫌だと思っていても
無理に撮られても仕方が無い……云々と
作り手側が話していたところです。
そういう
「いじめをしている人は他人にいじめられても文句を言えない」的な
わけの分からない平等性を解く人の作品には共感できそうにないと、
まず思いました。
寧ろ、その後にちゃんとなったように、
取材対象には筋を通す(許可を取ってから撮影をする)方を
徹底した方が良かったと思います。
勿論、ここも、敢えてそういうシーンを入れたことで、
作り手側が私(観客)の不快感を煽っていただけかもしれませんが。

上記の通り、全てにおいて、
「これは作り手側の誘導(印象操作)ではないか」という
疑いがつきまといますが、
いちいち書くことでもないので、以後は省きます。



使えない新人記者の渡辺さん。
顔に貼りついたような笑顔が非常に痛々しい人でした。
常ににやにやしていると勘違いされてもおかしくない独特の笑顔や、
取材対象との会話、コメント力など、
大変失礼ですが記者に向いてなさそうな人だと強く感じました。
彼は、SKE48を始め、
地下を含めたグループアイドルが大好きだということですが、
握手会によくいる「過度な承認欲求がある人」という印象も
強く受けました。
(自分が業界人だとアピールすることで
アイドルから褒められたり媚びられたりして
気持ちよくなっている人)

個人的には、最初の食レポ(ラーメン? 冷麺?)で
お箸を持っていない左手が
ずっとテーブルの下にあるのが許せなくて、
もしこれが本当(渡辺さんの癖)だとしたら、
ちょっと可哀相な人だと思いました。
周りにいるスタッフも注意しないんですかね、あれ……。


それと、ポケモンGOの取材の件。
お蔵入りとなったのを社内の人に軽く説明する際に、
自分のミスだというのを省いて
「上から言われて~」とだけ話していたのが
少し気に障りました。
なので、案の定、渡辺さん一年で契約を切られてしまい、
東海テレビを去ることになった時は
そりゃそうでしょうという気持ちで観ていました。

勿論、派遣さんを積極的に雇い、
仕事ができない場合は容赦なく契約を切るというやり方では、
人が育たなくなり、
結局、優秀な人が入ってくれるのを待つしかないという
非常に受動的な状況になるため、
更なる向上は見込めなくなるかもしれません。
でも渡辺さんの場合は、
もう明らかに記者に向いていなさそうだったので、
簡単に人が切られてしまう現状を
客席で憂いたり批判したりする気にならなかったという次第です。



ベテラン記者の澤村さんについても、
渡辺さんほどではないですが、苛立ちを感じる場面がありました。
テレビ局の現状に危機感を抱いていて、
熱意を持って仕事に取り組んでいるようですが、
みんな敢えて口にしないだけで、
そうした違和感や憂い、文句なんて
誰でも持っているのではないかなぁと思えたからです。
途中、自分だけが分かっている(そう思っている)と
彼が呟くシーンもありましたが、
だったら、分かっていないらしい他の人との差別化を図るために、
「Z案件なんかもうやらない!」というような
分かり易い形での気概も見せてほしかったです。

自宅にあったたくさんのマスコミ関係の書籍も、
意地の悪い見方をすれば、読んだだけというか、
「いるよね。ただ読んでその気になって終わっちゃう人」
という意見が出てもおかしくないと思えました。
もっと意地悪な言い方をすれば、
撮影のために予め他のジャンルの本を見えない場所に片付けて、
マスコミ関係の書籍の存在を強調しているような本棚だとも
見えそうでした。



最後は、東海テレビ所属の福島アナウンサー。
「セシウムさん」騒動については、すっかり忘れていましたが
(すみません)
当時は本当に衝撃的な事件でした。
個人的には、スタッフの一人だったとはいえ
彼に非は無いと思うので、運が悪かった
(たまたまそこに居合わせてしまった)ということで、
気持ちを新たに頑張ってほしいと願うばかりですが、
当の福島アナは勿論のこと、
世間の一部がそれを許さなかったというのも、よく分かります。

朝や夕方のニュースは、
報道を的確に伝えるのが第一であるのは当然とはいえ、
メインキャスターの人柄の良さ(フリートークでの魅力)が
そのまま番組の長所に繋がることが多いと思えます。
なので、福島アナの看板が外された
(メインキャスターからいちレポーターに格下げになった)事実は
本人にしてみれば相当悔しかったでしょうが、
街中で一般市民に揉まれてトーク力を上げることは、
決して無駄でないと思います。



以上、「なんだかなぁ」とビミョーな気持ちになることばかりで、
テレビ局に対する危惧もそれなりに抱きました。
ただ、上記で触れましたとおり、
観客がそうなるように作り手が誘導して作っているかもしれず、
私はその答え合わせをすることもできないことから、
気持ちはすっきりとしないままです。
当然のことですが、そのすっきりとしない気持ちすら
作り手の意図である可能性はあり、
私はしっかりとその術中にハマってしまったのだと
苦笑せざるを得なかったです。
この作品の出来の良し悪しについては分からないものの、
私にとっては改めて「テレビとは」と考える機会になったため、
観て損は無かったと思っています。



2020-07-25 10:44 
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