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栗本薫/中島梓先生 ご逝去 [日常生活]

 先の日記でも書きましたように(http://himezakura.blog.so-net.ne.jp/2009-05-27-1)、作家で評論家の栗本薫/中島梓先生がお亡くなりになりました。享年56歳。私は、公式サイト「神楽坂倶楽部」をずっと拝見していたので、闘病されていた事は存じていました。癌の中でも膵臓は大変厳しい場所なのですが、それでもグインサーガを始めとする作品を書いてらっしゃったので、まだまだお元気なはず!と思い込んでいました。

 多分、最後の更新だったと思うのですが、旦那さんの今岡氏がご入院・ご退院されて、先生ご自身よりもお元気そうな様子に安心なさっていた記述が日記でありました。先生ご自身はあまり体調が宜しくないとの事だったので、気にはしていたのですが……まさかお亡くなりになってしまうとは思ってもみませんでした。

 私は中学時代からグインサーガの大ファンでした。当時はお小遣いもあまり貰えてなかったので、志望していた高校に合格した際に、親から「欲しいものを買いなさい」と言われた祝い金で、当時の最新刊までグインを一気買いしたのを、今でもよく覚えています。それまでは公立の図書館でずっと借りていたので、「これで好きな時に好きなグインを読める!」と思うと、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 今、アニメのグインがBSで流れています。第一部の辺境編は本当にドキドキしながら読みました。グインと双子が無事に生き残れるかどうかが心配だったり、イシュトヴァーンの格好良さにくらくらしたり、“トーラスのオロ”のエピソードには涙したり……。私の中学時代は、文学面では、まさに菊池秀行氏(Dシリーズ)と栗本先生で彩られていました。友達と一緒に読んでいたので(正確には、友達のお姉さんの影響を受けていた)、皆でドキドキしていました。

 大人になってから、某雑誌の公募で栗本先生のワークショップが開かれるのを知り、課題の小説を添えて応募しました。幸いにも、そのワークショップの生徒になれたので、先生ご自身にも御会いできました! 本当にファンだったので、神楽坂のスタジオで最初にお目に掛かった際は、感激ものでした。中学生の頃の自分に今の自分を見せたいと、本気で思いました。
 ごくごく短い間でしたが、そこで小説も習いました。毎回、一緒に受講している生徒さんや編集さんの前で、自分の小説を手厳しく評価されるので、落ちこぼれだった私は、“神楽坂”という地名を見る度に憂鬱になったものです。でもあれは、本当に良い経験でした。授業は録音禁止だったので、頂いたお言葉(他の人の批評も含めて)は全部テキストに書き込んであります。今でも、たまに行き詰まった時にそれらを見返す事があるほど、そのテキストは大事な宝物になっています。授業の後に、生徒の皆で近所のジョナサンに溜まって、頂いたご批評に対する愚痴を吐いていたのも、良い想い出です。自分の下手さを棚にあげて「今日の先生、機嫌悪かったよね」なんて、よく言えたものだと思います。今では恥ずかしいです。

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 授業では、お願いしてサインも頂きました。
 左は“小説道場”の中島梓先生名義、右は“グインサーガ”第一巻の栗本薫先生名義です。


 先生、本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。今頃はきっと、あちらでお好きなだけ小説を書いてらっしゃる事と思います。私は、先生が地上に残して下さった小説を、これからも大事に読んでいきます。


2009-05-27 16:53  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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